ロジカルの上のエモーション

えんゔぃの雑記ブログ!

自分が何者なのか

おつおつ。えんゔぃです。

 

はい、仕事終わりです。

 

 

今日は仕事の事を書くので興味ない人は回れ右で。

 

 

 

さてさて。

自分は何者なのか、ということですが

僕の仕事はインフラエンジニアです。

何それって人はググってね。

 

普通はその中でもNWエンジニアとか

サーバエンジニアとか色々別れるんだけど

僕の場合はインフラエンジニアなんですよね。

要は何でも屋。

 

業界的にいう上位レイヤから下位レイヤまで

まるっとやってます。

OSI参照モデルでいうL1からL8もです。

インフラなので開発はしないですけどね。

 

会社内での立ち位置もまだエンジニアです。

 

それなのにここ数年の仕事を振り返るとインフラエンジニアなのか?ってくらい多岐に渡ってる。

 

基本的にはインフラ関連業務があって

各種管理から実作業もしてます。

 

ヘルプデスクも並行してやってて

電話対応、メール対応、物品管理

案件管理、工数管理などなど

 

かと言えば顧客への営業活動

ヒアリングから提案、見積もり取得などなど

 

そしてコンサルティング

顧客の業務改善やら効率化、、、

その他諸々。採用や広報関連やらも時々やってるな、、、

 

 

毎年感じる自分の職に対する疑問。

 

まぁ有難い事に常に多くの引合を頂けていて

実績も積めて評価も上がるからいいんだけれども。。。

 

私が本当にやりたいこと

実は人事なのよね。

うん。

情報の取捨選択

お疲れ様です。

えんゔぃです。

 

ここ最近毎日こんな時間に仕事が終わります。

腐った環境を根っこから変えてやろうと日々奮闘中。

 

今日のテーマは取捨選択ですが、、、

 

今の世の中は情報で溢れかえってます。

有意義なものから不快になるものまで。

自らアクションを起こし、情報を得る社会ではなく、

勝手に情報が広がっていて、必要なものや興味のあるものを選んでいくスタイルに変わりました。

 

そこでよく起こるのが炎上などを含む不快感を生むもの。

 

不快なら見なきゃいい。

関わらなきゃいい。

それだけなんです。

 

それをわざわざレスポンスを返したりすることでイメージ低下に繋がることだって多い。

 

ただし、それは個人間でのやり取りが基本。

B to Cのサービスに対しての批判や批評、いわゆるネガキャンなどに対しての反論は無意味。

 

三者同士で言い争って何になるん?笑笑

 

自分の好きなサービスにケチをつけられたと怒っているのかもしれませんが、

人それぞれの感性だし、批判や批評をした人が思った事を発信しているだけであって

それも一つの情報です。

それに対して思った事を発信するのも個人の自由ではありますが、生産性は皆無です。

 

そもそも全員が全てを良いと感じるサービスなんてないし、ネガキャンされるのは改善の余地があるからであって、そもそもその気付きや意見を止めようと反論するのはネガキャン以上にネガティブな事だと思います。

 

完全なものなど何もないからこそ

ぱっと見の印象が悪い意見があって

企業はその情報の中から取捨選択して

改善を努めるわけでしょう?

逆も然りで、良いレスポンスが得られれば

次はより良いものを、となるわけです。

 

中にはただただ否定だけを並べる人もいます。

吐き出してるだけであって、

SNSはそういった場でもあります。

見なきゃいい、触れなきゃいいだけ。

吐き出すなとかいう意見する人ほどSNSは向いてないww

 

かといって好きだからこそ、真剣だからこそ、

もっとより良いものにしてほしいと願うからこそ

批判、批評、ネガキャンなどが出てくる。

いいじゃないですか。

沢山の情報があるからこそ、

選択肢も多いわけで。

 

まぁ注意したいのは

ネガキャンするなら提案を

ネガキャンに反論するなら落とし込んでから

 

特に後者は自分の意見の押し付けだけで視野が狭いパターンが多いです。

ちゃんとサービスに向き合ってる人間なら

ネガキャンする人の気持ちはわからなくはないはず。

 

ちゃんと俯瞰的に見て取捨選択できればいいよね。

 

 

現実世界と仮想世界

こんばんは。

 

今仕事終わったえんゔぃです。

 

最近は人材不足、要員のレベル不足の中、

低くはないレベルの仕事をこなしつつ、

異動もあり、新規のミッションもこなしつつ

顧客との折衝やら商談やらに追われてます。

 

その他の色々な事を含めても現実世界では

基本的には誰しもが忙しなく過ごしているわけで。

 

だからこそ、仮想世界がこれだけ増えたのかなって思う。

作られた世界はある種、現実とは対の関係であってほしいというような願いなのかなぁと。

 

現実では何もかもが有限であり、

不可能が沢山蔓延る場所。

フラットな環境などなく、生まれた時点で差がついている。

 

日々が退屈で仕方のない世界だから

歩いてればモンスターが出てくるファンタジーな世界が生まれたり、

毎日忙しなく落ち着かない世界だから

まったりと動物達と暮らせる世界が生まれたり、

様々なストレスに塗れた世界だから

鬱憤を晴らせるような殺し合いの世界が生まれたり、

ルールに縛られた世界だから

法を犯すマフィアになれる世界が生まれたり

人が苦手で口下手だから

チヤホヤされる世界が生まれたり。

どこかでそういった背景もあるんじゃないかな、なんて空想をしたりもする。

 

仮想世界はフラットである事が前提だと思っている。

年齢も性別も学歴も国籍も何も問わず、

初期値はフラット。

そこからどうなるかは、その世界での歩き方次第。

 

根本的に対である世界ではあるものの、

中身やらプロセスというのはやはり現実の縮図であることが多い。

必ずしもそうとは限らないけども。

 

今日、それを強く感じる事があった。

とあるカードゲームの話。

そのゲームでのイベントというのはプレイし続けた人、もしくは人達がよりよい恩恵を受けるものとなっている。

この構造は基本的であり、正しいものであるとは思う。

だが、走り続ける、以外に何もない。

この時点でイベントを楽しむ事ができるターゲットは絞られる。

より走る事ができる人。

 

僕が感じた感覚としては

フラットではない。

運動という世界の中で

足のない人が足のある人と同じスタートラインに立ち、競い合う。

勉強という世界の中で

有名大学首席と中卒が同じテストを受ける。

フラットではない。

 

現実世界と仮想世界は極論対の世界。

現実の日常とゲームの中は別物である。

しかし、あくまでゲームというものは現実で作られたものであるから時間軸は同じであり、影響するもの。

 

その中でフラットを作るのは難しいのかもしれないが、無理ではないと思ってる。

 

今回のゲームでいえば、今行われてるイベントはギルド間での対戦。

その予選?は通常のゲームモードであるランクマッチで勝利時に得られるポイントを対象期間中、ギルドに所属するメンバー各々がどれだけ集められるか、その合算値を競う。

というもの。

 

イベント期間で走った距離が結果に直結する。

要は沢山ゲームという世界で活動できる人が優位である。

先述した通り、時間軸は現実と並行しているから走れる距離、走れる時間は個々によって異なる。

それがそのまま結果となってしまうのはフラットじゃない。

 

ではこうしたらどうだろうか。

走った分だけアドバンテージがある。

結果直結ではなく、結果につながりやすいよう優劣を付ける為のもの。

 

この案で考えるならば仕様の変更から必要になるのだけれど、

ギルド間での対戦というイベントをフラットにするには

準備期間という5日間、本戦期間の2日間。

ギルドに1つデッキが配布される。

4種類から選べる形にする。

準備期間に走った分に応じて利用できるカードを増やす事ができる。

本戦では配布されたもの、増やしたものだけを用いデッキを構築。

本戦では勝利者にはポイント付与

ギルドとして勝利した場合には多くのポイント付与

この流れを3回行い、総ポイント数に応じて順位づけ。

 

これなら結果に直結しない分、完全なフラットじゃないにしても

走れない人にも可能性を残せるものになるはず。

 

パッと思いつきだから抜け漏れはあるだろうけど。

 

最近のゲームは殆どのものがSNS的。

誰かと気軽に繋がれる。

一緒に楽しむ事ができる。

様々な垣根を越えて。

 

そしてそもそもゲームというものは遊びの一つであり、楽しいものだという前提がある。

極力不公平という障害を排除し、バランス良く楽しめる世界であるべき。

 

今の世の中だからこそ言えることではあるが

ゲームは無料で楽しめるものが基本。

課金はアドバンテージを取るものであり、

義務ではないし、無課金でも楽しめなければならない。

そういった仮想世界でなければ、衰退し、なくなってしまう。

 

ただし現実世界ではゲーム含めた仮想世界を提供、運営している企業や人がいる。

サービスとして提供するには資金が必要になるからこそオールフラットは無理があり、

アドバンテージという方策で資金繰りが行われなければならないものではある。

 

沢山の反論もあるだろうけど

とりあえず思ったことを書き連ねてみた。

 

ついてこれないでしょ、とかそういう問題じゃない。

盛り上がる云々の話は一部だけ。

全員に共通してるのは各々違った現実世界があり、同じ仮想世界で遊んでいるということだけ。

 

3月の終わり。

2019年3月29日。

 

こんばんは。

一部の人からすれば過去の記事消したのねって感じだろうけど、仕切り直し。

そして大半の人。はじめまして。

 

今日、3月最後の営業日。

大切な友人との別れの日。

 

僕はいわゆるSE職の人間で

これまたよくある客先常駐というスタイルで働いてる。

だから案件次第では職場や顧客がコロコロと変わる。

今の顧客先には3年弱いるかな。

 

その友人との出会いは今の案件が決まってから。だから付き合いも3年弱。

年は僕の1つ下。

コミュニケーション能力が高く、仕事もでき、

スタイルも良い上にイケメンである。

初日に謎の劣等感を抱いた事は忘れもしない。

 

僕も基本的に仕事にはシビアで物事はハッキリ言う。

その友人とも意見がぶつかる事も何度かあったが友人が間違っていることはほぼなかった。

どちらも正当な意見を述べ、何が最善かを語り合えた。

年齢や立場関係なく、対等に、納得し合える話が出来る人は振り返れば友人だけだったように思う。

共に仕事をし、ランチを過ごし、プライベートでも付き合いを持った僕の数少ない人間。

 

そんな彼が今日を最後に退職することとなった。

理由は特に記述しないが、理解できるものであり、以前から僕も背中を押してきた。

だから心から祝福してるし、これからを応援している。

とは言え、やはり残される者としては

ジワジワと押し寄せる寂しさがあるし

友人が退勤し、綺麗に整理されたデスクに

明らかな輪郭を纏った寂寞が居座っていた。

 

僕は音楽を聴きながら残業をこなしつつ

友人との過去のチャットを遡ってみたりしながら3年弱という時間を振り返ってみた。

 

一緒に始めたゲームの話

新人に対する相談や悩み

仕事に対する愚痴や将来の事

文字を辿るだけで、懐かしさが溢れてくる。

そこで初めて気づいた。

心から信頼し、楽しんで、共に仕事をしてきたんだと。

 

僕は仕事柄、顧客関連で知り合った人とは深く関わらない。

あくまで顧客であり、仕事であり、

いつでも、狡猾に陥れてでも、成果を挙げなければという想いがあるから。

下手な友情やら信頼やら、そんな甘い感情などを持ち寄れば妨げになると常に抱いていた。

 

けれど、そうじゃなかった。

唯一の友人。

 

きっと4月から更に忙しくなる。

沢山のやらなければいけない事が転がっている。

センチメンタルな事は言ってられないから

ここに書き連ねて、未来を見る。

 

お互いにまだ若い。来月に飲みに行く約束もある。

またどこかで一緒に良い仕事ができる日が訪れる事を楽しみにこれからを歩んで行こう。

 

3年弱。長いようで短い時間。

ありがとう。友人の旅立ちを祝福し

これからの未来に多くの幸せがある事を願う。

 

https://youtu.be/kHHUulGxZww